バタスビー・ハットの物語 #050

少し、古い話をいたしましょう。

1916年の4月のことですから、それほど新しい話とはいえません。
1916年とは、大正五年のことです。今から百年以上も前のことになります。
1916年に何があったのか。
アート・スミスが日本にやって来た年なんですね。

アート・スミスは、アメリカの飛行家。
1916年のことですから、カーティス式の複葉機に乗って。

アート・スミスはこのカーティス式複葉機で、飛行機による曲芸を披露したのです。宙返りしたり。
この時、アート・スミスは鳥打帽を前後逆さにして被っていたそうです。
逆さに被る鳥打帽は、アート・スミスが元祖かも知れませんよ。

このアート・スミスに憧れたのが、稲垣足穂。
稲垣足穂はこの時、16歳で、鳴尾競馬場まで、スミスの曲芸を観に行っています。

その稲垣足穂に、『緑色のハット』という小説があります。
これは物語の主人公が、神戸元町で、ソフト・ハットを買って愛用する内容になっています。
時代背景は、戦前のことと思われます。
文字通り、それはグリーンのソフト帽なのですが。

「生地がたいそう柔らかだったので、中折の部分は内側からニッケルめっきのピンで挟むようになっていた。」

そんな風に説明されています。

これはたぶんセンター・クリースのことでしょう。
センター・クリースをしっかり保つためのピンの仕掛けなのでしょうね。

稲垣足穂著『緑色のハット』には、それは「バタスビー」 Battersby の帽子だったと。
昔はそんな帽子メーカーがあったのでしょうか。

それはともかく、「バタスビー・ハット」を、再現してみようではありませんか。