イタミ・ハットの伝説 #060

今、伊丹十三というと、何を想うでしょうか。

映画監督。

たしかに伊丹十三は優れた映画監督でもありました。
『お葬式』がありますし、『タンポポ』がありますし、『ミンボーの女』があります。
伊丹十三のお父さんは、伊丹万作で、戦前にはかなり知られた映画監督だったのです。
「蛙の子は蛙」の諺に従うなら、伊丹十三が映画監督になったのも、当然であったのかも知れません。

伊丹十三は映画監督の前は、優れた随筆家でありました。
随筆家の前は、映画俳優。
ハリウッド映画『北京の五十五日』に出演しています。
映画俳優の前は、優れたグラフィック・デザイナー。
「伊丹十三の明朝体は世界一」などと言われたほどです。

つまり伊丹十三は何をやらせても一流を極めた人物だったのです。
が、その中でも最高傑作は、『ヨーロッパ退屈日記』でありましょう。
少なくとも私にとっては、聖書にも近い存在であります。
「無人島に持って行く一冊の本」と問われるなら、たぶん「ヨーロッパ退屈日記」と答えるでありましょう。

『ヨーロッパ退屈日記』は、おしゃれ精神の、その精髄だけが詰まった本なのです。
それを伊丹十三は二十代で書いているのです。
早熟と言う他ありません。

『ヨーロッパ退屈日記』には、たとえばサンローランの話が出てきます。
高島三枝子から聞いた話として。
高島三枝子は1960年代にパリで活躍した日本人ファッション・モデル。
高島三枝子がショウで着るドレスを、サンローランは二十六回、仮縫いした、と。

このことについて伊丹十三は、次のように書く。

「二十何回も修正して、まだ欠点を見つけ出せる目の厳しさ、イメージの確かさ。」

伊丹十三はおしゃれの精髄である、という意味がお分かり頂けるでしょう。
私は一度、伊丹十三に会ったことがあります。
なに、世田谷の裏道ですれ違っただけの話でありますが。
1980年頃のこと。

その時の伊丹十三はライト・グレイのソフト・ハットを被っていました。
クラウンにはセンター・クリースとフロント・ピンチとがあるのですが、広いブリムをほぼ水平にして、被っていました。
美事。
さすが。そんな被り方も佳いものです。

ところで。

伊丹万作はソフトをどんな風に被ったのか。

帽子というものは、帽子の被り方というものは、時にうつるものでありますからね。