ニット・ハンティングの物語 #074

おしゃれは、素敵なことです。
おしゃれな人には、ただただ、憧れるばかりであります。

戦後から現在までの映画監督の中で、最高の洒落者は誰でしょうか。
もちろんこれについてもいろんな意見があることでしょう。

もし私なりの考え方を言わせていただくなら、小津安二郎だと思います。
あの名作『東京物語』で知られる小津安二郎。

では、どうして「小津安二郎」こそがとびきりのダンディだと言えるのか。
それは、『日記』によって。
小津安二郎は永年にわたって、日記を書き綴った人でもあります。
今は『全日記 小津安二郎』として一冊に纏っているのですが。

小津安二郎はいつも小さな手帳を持っていて、ここにその日の忘備録を書きつけた。
それはほとんど自分だけに分かる暗号のような、電文のような文章で。
『全日記 小津安二郎』として完成させるには、さぞかし判読のご苦労があったと思われます。
小津安二郎の「日記」の現物は今、「鎌倉文学館」の所蔵となっています。

「松村でネクタイ 陶哉 たくみ 東興園による ………………」。

昭和二十七年四月八日の「日記」には、このように書いています。
多くは、この筆致。
「暗号のような」の表現がお分かり頂けるかと。

「東興園」はむかし銀座にあって中華料理店。
小津安二郎が偏愛した店。
多い時には一日に二回も通ったほどに。

「松村」もまた、以前銀座にあった名店。
高級、舶来洋品店。
並んでいる品物のすべてが、ゼロの数が一つ二つ多かった有名店。
今ならネクタイ一本十万円ほどでしょうか。

そうかと思えば。

「おふくろに毛糸のセーターをもらふ」

ともあります。
昭和二十九年十二月三十日の、「日記」に。

小津安二郎のお母さんの名前は、「あさゑ」。
北鎌倉の自宅で、母子ふたり暮らしだったのです。
もちろん当時のことですから、手編みのスェーターだったと思われます。

小津安二郎がお母さんから手編みのスェーターをもらう少し前の、十二月十九日。小津安二郎は銀座で買物。

「野田夫妻と銀座を歩く 鳥打を買ふ 」

「鳥打」はたぶん、ハンティング・キャップのことなんでしょう。
それはどんなスタイルだったのか。
興味あります。

たったこれだけの小津安二郎の「日記」からの連想ではありますが。
手編みのハンティング・キャップは作れないものでしょうか。

もしも手編みのハンティング・キャップが完成した暁には、
「オズ・キャップ」と名づけるといたしましょう。