ヴァロア・ハットの物語 #075

世の中には、翻訳ということがあります。

英語を日本語に翻訳する。
フランス語を日本語に翻訳する。

翻訳があるからこそ、外国の本が日本語で読むことができるのです。
翻訳があるということは翻訳を専門とする人がいるわけで、ほとんど崇拝に近い想いがあります。

「この世に翻訳ほど難しいものはないのではないか」。
そんな風にも思ってしまいます。

たとえばフランス語を日本語に直す。
それはフランス文化を日本文化に当てはめる作業でもあります。
フランス文化を日本文化に当てはめる。
それは、不可能に近い。
その不可能を超えようとするのが翻訳であるなら、それは昔の錬金術にも似ているのでしょう。

さて、翻訳とは別に、「訳注」ということがあります。

たとえば小説の中に難しい言葉が出てきたなら、訳者が欄外で説明してくれる段取のことです。
もし「訳注」があったなら、分からない言葉を、いちいち自分で調べなくても良いわけです。
「訳注」はとても便利で、有効な手段であります。

この「訳注」が優れている翻訳に、『失われた時を求めて』があります。
翻訳は、吉川一義。
翻訳も良いが、「訳注」も美事であります。

『失われた時を求めて』がマルセル・プルーストの名作であるのは言うまでもないでしょう。

たとえば、物語の中に「ヴァロア家」が出てくると、「訳注」を設けて「ヴァロア家」についての詳しい説明がなされます。
その「訳注」はしばしば絵入りでもあって分りやすい。
ヴァロア家は十四世紀のフランスで権勢をふるった貴族なんだそうです。

そのヴァロア家にはヴァロア家の帽子があった。

まあ、言ってみれば「ヴァロア・ハット」でしょうか。
それはクラウンの丸い、ソフト・ハット。
ただブリム全体が完全に、美しく巻き上がっている。
ブリム後部はより深く、ブリム前部はやや甘い巻き上がりになっています。

なんだかナチュラルで、ビューティフルという印象であります。

たぶん「ヴァロア・ハット」は流行になるでしょうね。