ゴロオ・キャップの物語 #077

時に、「正字旧仮名」ということがあります。

これに対するものは、「新字新仮名」です。
要するに、日本語をどんな風に書くのか、という問題なのですが。

たとえば今は、「恋」と書きます。
でもむかしは、「戀」と書いた。

あるいは現在は、「思います」と書く。
これに対して旧仮名は、「思ひます」となるわけです。

戦前まではまず例外なく「正字旧仮名」、今日では多く「新字新仮名」。
まあ、時代の流れというものでしょう。

ただ戦後になってからも、「正字旧仮名」が好きだった人もいます。
ひとつの例として挙げるなら、三島由紀夫。
三島由紀夫は原稿用紙に小説を書く時、「正字旧仮名」だったそうです。

また、小沼 丹も「正字旧仮名」派だったらしい。
小沼 丹は短篇小説の名手。早稲田大学の教授でもあった人物です。

小沼 丹の短篇小説に、『赤い帽子』があります。

どうして『赤い帽子』の題なのか。

この物語の主人公は、「ゴロオ」で、ゴロオは「赤い帽子」をかぶっているから。
「ゴロオ」は若い青年で、画家志望の男という設定になっています。

では、どんな「赤い帽子」なのか。

「僕の若い友人ゴロオは、赤いトルコ帽みたいな奴を被ってゐる。」

『赤い帽子』は、こんな風にはじまるのです。

「トルコ帽」はふつう、堅い。
でも「ゴロオ」の赤い帽子は、柔らかい。
どうして「柔らかい」と分かるのか。

「都心を歩くときはポケットに蔵ふ。」

と、あるから。つまりポケットにしまえるほどに、柔らかい。
ポケットにしまえる「トルコ帽」があったらいいですね。

ゴロオが「赤い帽子」をかぶるほんとうの理由は、インスピレーションが湧くからなのです。
ゴロオは「赤い帽子」をかぶると、絵の構想が生まれる。
それで、「赤い帽子」を愛用している。

少なくとも『赤い帽子』の中では、そんな風に説明されています。

あるひとつの帽子が、自分の心の「創造」を高めてくれるのは、大いにあり得ることです。
「これは創造を高める帽子だ」と、強く信じれば良いわけです。

柔らかい、赤い帽子、トルコ帽に似た帽子。

これからは「ゴロオ・キャップ」と名づけようではありませんか。