Special Interview override × Boat House

Special Interview override × Boat House

今回、〈override〉と〈ボートハウス〉のコラボレーションアイテムとして、“湘南帽”が復活。
1980年代、わずか11坪の店舗に3000人が並ぶという社会現象を引き起こした伝説のブランド〈ボートハウス〉と、多くの有名人に愛されたキャラクターの〈キャプテンサンタ〉。2つのブランドを牽引するジョイマーク・デザイン社長の下山好誼さんに“湘南帽”の誕生秘話、大ブームの裏側、そして今なおパワフルに走り続けるエネルギーの秘訣を伺います。
聞き手は〈override〉の栗原亮 社長。

〈ボートハウス〉ファンの手作りから始まった“湘南帽”。

栗原:今回、“湘南帽”を作らせて頂くことが出来て本当に感謝しています。ありがとうございます。

   

下山:こちらこそ。最初にお話しを聞いた時には、「なんで今“湘南帽”?」と思ったんだけどね。

   

栗原:きっかけをお話しさせていただくと、私、アメリカンフットボールをずっとやっていまして。今はぶつからないフラットフットボールというものなんですが。草野球みたいに、各大学のOBのおじさんたちが集まって練習してるんです。 その練習のときに、私よりも10歳くらい上…、恐らく60歳くらいの方が“湘南帽”を被ってこられたんですよ。パーカーにスタジャンという80年代当時のスタイルで。それがすごく恰好良くて。他のOB達も「懐かしいなー、いいな」って口々に集まってきたんです。「でも、このスタイル出来ないよな。売ってないよな」って話になりまして。そしたら、ひとりが「お前、帽子屋だろ。どこかで売ってないの?」って言うから、「もう売ってるところは無いんじゃないですか」って答えたんですけど、「あ、それならウチで作ればいいんだ」と思いまして……。それで、連絡させて頂きました。

   

下山:そうだったんですね。実はね、過去にも作りたいっていう帽子屋さんあったんですよ、正直言うと。それで、作ってもらったこともあったんだけど、気に入らなかったんだよね。それでも、〈ボートハウス〉のファンからも「また被りたい」っていうリクエストがあるしね。どうしようかなって思ってたときの話だったんです。

   

栗原:いやー、本当実現できて、凄く嬉しいです。この“湘南帽”はどういう経緯で作られたんですか?

   

下山:僕はずっとサーフィンをしているんだけど、海から上がってくると髪はぐちゃぐちゃになるでしょ。それを隠すために普通のニットキャップを被ってたんです。当時“正ちゃん帽”と呼ばれてたもので、それは〈VAN〉のものでしたね。ひとつをずっと被ってたから、ボロボロで。そしたら知合いの女性が作ってプレゼントしてくれたんです。ポンポン付きのキャップを。それから、それをずっと被ってたら、今度は〈ボートハウス〉のファンの人たちから「それ欲しい」って言われるようになって、作ったのが最初です。僕が湘南でサーフィンしてたから、“湘南帽”。ダジャレってわけじゃないんだけど(笑)。 これ商標もとったんですよ。それから、しばらくして原宿を歩いてたら、被っている人がいっぱいいて。びっくりして、店に行って「帽子売れてるの?」って聞いたら、「めちゃめちゃ売れてます」て言うから、またびっくり。売れるかどうかってことには、僕は無頓着だったんでね。

人との出会いが起こした“奇跡”。

栗原:僕は〈ボートハウス〉のスタート時には、まだ中学生だったんで実際に着ることが出来なかったんですけど、当時の大学生達がしている恰好がうらやましかったですね。あの頃って、ファッションだけじゃなくて、ライフスタイルが見えたじゃないですか。こういうスタイルの人はきっと週末には波乗りしてるんだろうなとか、こういうスタイルの人はライブハウスに行ってるんだろうなとか……。

   

下山:そうだね。確かにライフスタイルとファッションは今よりも密接だったと思いますね。僕がファッションの業界に入ったのは、石津(謙介)先生に出会ったから。〈VAN〉も単なるファッションブランドというよりも、アイビーの世界を広めたひとつのカルチャーだと思うんです。でも、〈ボートハウス〉をそんな風にしようとか、ブームを仕掛けようなんて思いは全く無かったんですけどね。僕は、〈ボートハウス〉のトレーナーを加山雄三さんに着て欲しい一心で作ってましたから(笑)。

   

栗原:加山さんがブームのきっかけだったんですか?

   

下山:いえ。その前には火がついてましたね。'79年に青山学院の前にオープンして、'80年の春頃には行列が出来てたかな。加山さんが『帰ってきた若大将』で着てくれたのが81年だからね。77年、渋谷ファイヤー通りにオープンした〈サンデービーチ〉には多くの学生が集まってました。その後、そのなかに雑誌メンズクラブの編集者になった人がいて、〈ボートハウス〉を取り上げてくれたりしてね。「あのブームはどうやって起こしたんですか?」って聞かれるけど、全然分かんない(笑)。本のタイトル通り、“奇跡”としか言いようがない。でも、全部人との縁なんです。それは確か。本当にイイ出会いがいっぱいあって、感謝してます。もちろんファンの人たちにも…。

今の若い人たちが、どういうスタイルで
楽しむのか楽しみ。

栗原:当時の“湘南帽”の広告ビジュアルが凄く恰好いいですよね。

下山:このモデルは僕(笑)。

   

栗原:この後ろ向きの感じとか、文字の入り方とか、今見ても全く古さを感じませんね。

   

下山:僕は、もともと洋服のデザインの勉強はしてなくて、グラフィックデザインだったんです。だから、アートディレクションっていう立ち位置は自然のことでしたね。前向きも撮ったんだけど、後ろ向きも撮ってって僕がリクエストしたの。帽子がちゃんと見えるから、こっちの方がイイよね(笑)。

   

栗原:今回、サンプルをお借りして、いちばん驚いたのがこの浅さ。思ってた以上に浅かったですね。

   

下山:今のウォッチキャップとは全く違うシルエットですよね。すっぽりと被るんじゃなくて、前髪を出して被るスタイルなんだよね。

   

栗原:あー、なるほど。前髪を出すんですね。

   

下山:きっと、当時流行っていたアイビーカットを崩さないためじゃない?

   

栗原:そうですね! アイビーカットは前髪が大事ですもんね(笑)。

   

下山:当時は、スタジャンやパーカに合わせてカジュアルに被っている人が多かったけど、今はどうなるんだろう。想像もしてないようなスタイルに合わせたりするかもね。楽しみだな。

   

栗原:たぶん、時代を知っている人は、当時の懐かしいスタイルにするかもしれない。今の人たちには、もっと自由に自由な発想で合わせて欲しいですね。

   

下山:僕も当時はスーツスタイルに合わせたりしてましたね。今日の社長みたいにジャケットとパンツに合わせるのはイイね。とっても似合ってます。

   

栗原:ありがとうございます! 凄く嬉しいです。僕は、この白とブルーのカラーリングにしびれちゃいますね(笑)。

   

下山:〈ボートハウス〉カラーだね。僕はトリコロールかな。最初に女性が編んでくれたのが、まさにこのトリコロールカラーだったんで。

栗原:今回、初めてこちらのショップに伺いましたが、本当に凄いですね。発信する場というか、やっぱり自分の思いを形にすることって重要だなと。

   

下山:自分が考えていることを人に分かってもらうことって、難しいじゃないですか。だったら、僕は形にしようと。何が好きなのか、何が大事なのかということを。だから、お店もそうだし、自宅も油壺もハワイ(下山氏の別荘)も全部同じ匂い。そこを訪れる人には「この人はこういう人なんだな」とすぐに分かってもらえます。

   

栗原:ハワイにはよく行かれてますよね。

   

下山:お正月には2ヶ月くらい行ってますね。一年の3分の1はハワイでサーフィン三昧(笑)。

   

栗原:うらやましい限りです(笑)。

   

下山:社長も行ったらイイんですよ。少しくらい強引にでもやった方がいい。社員も分かってくれます。社長は元気じゃないと、アイデアも出ないし、「行くぞー!」っていうエネルギーがないと。

   

栗原:じゃあ、次の会議で「ハワイに行かせて」ってお願いしてみます(笑)。

   

下山:僕、お迎えに行きますよ(笑)。

下山好誼しもやま よしみ

株式会社 ジョイマーク・デザイン代表取締役。
1947年、岡山県出身。
東京デザイナー学院を卒業後、1969年に22歳でジョイマーク・デザイン社を設立。1970年には『BOAT HOUSE』を発表し、社会現象とまで言われた一大ブームを生み出す。
その後も様々なブランドをリリースするが、アメリカ、海、トラディショナルスタイルをキーワードとするライフスタイルの提案は、いちアパレルブランドのデザイナーという枠に留まらない活動へと繋がっている。
初の自伝エッセイである「ボートハウスの奇跡」が好評発売中。

栗原亮くりはら とおる

株式会社栗原 代表取締役。
1967年、兵庫県出身。
大学卒業後アパレルメーカーで勤務したのち、株式会社栗原に入社し、2003年に4代目社長に就任。1999年に原宿 キャットストリートにoverrideの1号店をオープンさせる。常に新しいアイデアの発信と挑戦に常に取り組み、次第に全国に店舗展開を広げる。
10月13日に路面店のoverride南堀江店がリニューアルオープン。