諭吉帽の伝説 #087

今も『ウエブスター・ディクショナリー』というのがあります。
ことにアメリカ語を調べるにはたいへん重宝する辞書ですね。

この『ウエブスター・ディクショナリー』をはじめて日本に持ち帰ったのは、福澤諭吉なんだそうです。
これは有名な話。
同じく、中濱萬次郎も『ウエブスター・ディクショナリー』を携えて帰国しています。

福澤諭吉が咸臨丸でアメリカの地を踏んだのは、万延元年のこと。
万延元年は、1860年です。
今から百五十年ほど前の話です。
福澤諭吉、二十五歳くらいの時になります。

咸臨丸が浦賀港を出たのが、一月十九日。
サンフランシスコに着いたのが、二月二十六日。
これは福澤諭吉の『忘備録』に出ています。
福澤諭吉はアメリカでの見るもの聞くものについて、克明に記録をつけているのです。

福澤諭吉の『忘備録』は文章だけでなく、時に絵も添えられています。
たとえばサンフランシスコの女の人がどんな服装であるのか、とか。
福澤諭吉はドレスのスケッチを描いてもいるのです。

「常用食料は「ブレッヅ」……………」。

そんな記述もあります。たぶんこれは「ブレッド」のことかと思われます。
もしも「ブレッド」だとするなら、日本にはじめて「ブレッド」のあることを伝えたのも諭吉ということになるのですが。

この福澤諭吉の『忘備録』は、今、『福澤諭吉全集』に収められています。

『福澤諭吉全集』には扉に口絵があって、諭吉の写真が添えられているのです。
たとえば、明治三十三年頃の写真。
それは福澤諭吉がお供を連れて、散歩中の写真。

和服姿の、寛いだ様子。
もし明治三十三年だとすれば、ちょうど1900年のこと。
ざっと百二十年ほど前のこと。
諭吉は五十五歳くらい。

その写真を見ると、諭吉は鳥打帽をかぶっています。

鳥打帽とはいっても、ややマリン・キャップにも似ているのです。
福澤諭吉の独創でしょうか。

「諭吉帽」として、ぜひ再現してみたいほどです。