慶喜帽の物語 #100

「慶喜」と書いて、「よしのぶ」と訓みます。

もちろん、第十五代徳川将軍、慶喜のことであります。
徳川慶喜。
時に「けいき」と訓むことがないではありませんが、正しくは「よしのぶ」であります。

徳川慶喜は、「悲劇の将軍」とも呼ばれます。
明治維新によって、「最後の将軍」となったからであります。
でも、これは時代の巡り合わせなのであって、徳川慶喜自身にすべての責任があるわけでもないでしょう。

それはともかく、徳川慶喜はずいぶんとハイカラなお殿さまであったようです。
これは将軍を引退して、静岡に隠棲した時代の話ではありますが。
徳川慶喜の屋敷の近くを物売りが通る。
そのひとつに、「玄米パン」。
いつも決まった時間に、玄米パンを売りに来て、その声が聴こえる。
徳川慶喜は女中に言いつける。

「玄米パンを購ってこい」。

玄米パンは下々の食べるもので、お殿さまには差しあげられない。
女中がお断り申し上げても、「購ってこい」。
女中はとうとう根負けして、買ったんだそうです。

徳川慶喜は明治のはじめの写真家でもあって、多くの「作品」を遺しています。
また、西洋服もはやくから着用しています。
徳川慶喜が若い頃から西洋好きだったことは間違いありません。

徳川慶喜のハイカラ好みと関係があるのかどうか、フランスのナポレオン三世は、徳川慶喜に多くの西洋服を贈ってもいます。
そのほとんどは今も、「久能山東照宮」 の所蔵として遺っています。

その徳川慶喜の遺品のひとつに、「ケピ」があります。
もちろん、フランス製。
ナポレオン三世からの軍帽なのです。

それは真紅の羅紗で、まったくの「ケピ」。

ツバはブラウン・レザー。
ハット・バンドの部分には、華麗なる金モールがあしらわれています。

今、この「ケピ」を再生して、「慶喜帽」と名づけようではありませんか。