花森帽子の物語 #105

今は、コンピュータ文字の花盛り。
右を向いてもコンピュータ文字、左を向いてもコンピュータ文字。

だからこそ、手書き文字がむしろ温かく、新鮮に感じられるのかも知れませんが。

書き文字は、戦前からすでにありました。
たとえばむかしあった化粧品の「パピリオ」。
あの「パピリオ」の文字は書き文字を表に出したはやい一例でしょう。

あの「パピリオ」の文字を書いたのが、画家の、佐野繁次郎。
昭和のはじめ、「伊東胡蝶園」という化粧品会社があって。
ここで新しい製品を出すことになって、「パピリオ」。
で、その文字を書いたのが、佐野繁次郎。
「パピリオ」の書き文字は、一世風靡したものであります。

その佐野繁次郎と机を並べていたのが、若き日の、花森安治だったのです。
花森安治が書き文字を得意としたのも、当然でしょう。

花森安治は戦後間もなく、『美しい暮しの手帖』を創刊。
多くの、熱心な読者を集めたこと、語り草になっています。
最初『美しい暮しの手帖』として出発し、後に『暮しの手帖』と改題したものです。

「暮しの手帖」そのものが花森安治の手書きだったのはもちろん、カットも絵も、文章も、割付も、ほとんど花森安治の「手づくり」だったのです。
そんな雑誌は『暮しの手帖』以前にも、以後にも皆無でありました。

花森安治は、東大の美学の卒業で、ほんとうは日本の「服飾改革」をやりたかった人なのです。
少なくとも花森安治ほど真剣に、日本の服飾を憂慮していた人は他にはいません。

少し話は飛ぶのですが。花森安治はこれまでにたくさんの帽子の絵を描いています。

たとえば、1977年『暮しの手帖』12月号の表紙にも。
それは可愛い女の子が、木馬に跨って、ラッパを吹いている様子。
服と同じワイン色の帽子。
左右に丸い、大きな、羽根が付いた帽子。

とても、ユニイク。

あんな帽子、かぶってもらいたいなあ。

名前はもちろん、「花森帽子」。