赤帽の物語 #116

「赤帽」は、たぶんご存じでしょうね。

「赤帽」は、むかしあった、ポーターのことです。
が、今はなぜか、ありませんが。
たしか昭和四十年代まではあったような記憶があるのですが。

「赤帽」は、まずたいていの駅にいたものです。
その時代には、うんとうんと小さい駅のことを、「赤帽もいないような駅」などと言ったりしたものですが。

赤帽は、紺の詰襟の制服を着て、赤いキャップをかぶっている。
だから、「赤帽」。
赤帽はもちろん、目印で、客がすぐに見つけられるから。
手を挙げて、「赤帽さあーん!」と声を掛ければ、すぐに来てくれて。
旅の、重い荷物を、タクシー乗り場にまで、運んでくれる。
もちろん、有料。
ただし当時の値段で、一個につき百円くらいだったでしょう。

赤帽はなぜか年配の、小柄な人が多くて、その小柄な、決して若いとは言えない男が、力士でも持てないほどの大荷物を運んでくれたことを憶えています。

クラウンが赤で、ひさしが黒い帽子、憧れたものですが。

いや、そうではなくて。
赤い帽子のお話。

日本の作家、有島武郎をご記憶ですか。
美男俳優、森 雅之のお父さん。
『或る女』の著者、有島武郎。

有島武郎は1900年頃に、アメリカの、ハーヴァード大学に留学。
留学中のアメリカから、家族に宛てた手紙が今に遺っています。
日付は、1904年1月22日になっています。

「母なる人の色彩の趣味深きにや雪に出て遊ぶ少年少女は多く赤き色の帽やスカーツを穿ち居り候ため………………。」

これは有島武郎が、子どもたちが雪遊びを愉しんでいるのを見ての感想。
白い雪映える赤を褒めているわけですね。

さあ、皆さん、雪が降ったら、「赤き帽」をかぶりましょう。