キヨテル帽の伝説 #131

ここでの「キヨテル」は、黒田清輝のことです。
黒田清輝は、明治の西洋画家として知られる人物であります。

『湖畔』もまた代表作のひとつ。
今は、重要文化財となっています。
『湖畔』のモデルは、当時二十三歳だった、金子種子。
後に、黒田清輝の妻となっています。
場所は、箱根芦ノ湖。

黒田清輝の名前をどう読むのか。

「きよてる」とも「せいき」とも。
黒田清輝自身は絵のサインに、多くSeiki と署名しています。
ただ、もともとの訓みは、「きよてる」だったらしい。

黒田清輝と帽子は大いに関係があります。

黒田清輝は、十八歳でフランスに留学。
最初は、法律の勉強だったのですが、すぐに絵の勉強に変っています。

1893年に、フランスからアメリカを経て、帰国。
黒田清輝、二十七歳の時。
このとき、黒田清輝は黒いベレーをかぶっていて、それが後に流行ったと、考えられています。

これは、正しいと思います。
が、黒田清輝はなにもベレーばかりをかぶっていたわけではありません。

黒田清輝が、明治二十二年に書いた肖像画に、『トルコ帽』があります。
黒田清輝自身がトルコ帽をかぶっているので、『トルコ帽』。
たしかに、「ターキッシュ・キャップ」とも言いますし、「フェズ」とも言います。

明治二十二年にはまだ、黒田清輝が巴里に住んでいた時代。
つまり巴里での黒田清輝は、フェズをかぶることもあったのでしょう。

今、もう一度、「キヨテル帽」の名前で、フェズを流行らせようではありませんか。